ほの研ブログ - 盛岡紀行
去る6月、「第25回人工知能学会全国大会in盛岡」に、応援団として出席された市民研究員の佐藤由紀子さんに「紀行文」を書いて頂きましたので、本日、掲載させて頂きます。尚、応援団には同じく市民研究員の田口良江さん、武下秀子さんが同行されました。
『盛岡紀行』 市民研究員 佐藤由紀子記
5月31日、田口良江さん、武下秀子さんと私の三人は、東北新幹線の「一関駅」で途中下車し、平泉、中尊寺、金色堂に立ち寄りました。世界遺産登録直前で、賑わっているでしょうと思っていましたが、3・11の大震災の後の為か、人影もまばらで広い境内が寂しい位、閑散としていました。金色堂は50年前に訪れた時は、覆堂もガラスもなく、ただ薄汚れていて、螺鈿の柱や華まんが目の前にあり、手で触った覚えが有ります。
中尊寺
田口さんは病気の後の初めての旅行。武下さんは一週間前にけがをしたためコルセット姿で、本来なら絶対安静中の旅行でした。
月見坂にてのお二人
平泉でのんびりし過ぎた為か?或いは筆者の計算違いか?バスに乗り遅れ、列車も乗り遅れ、盛岡に着いたのは夕方の7時半近くで、集合時間より30分も遅くなり、大武先生始め、参加者の皆様に大変ご迷惑をお掛けした事を反省しています。
セッション前夜の交流会
この日のメニューは「焼肉と冷麺」、冷麺は、しこしこ固めでひんやり冷たく、焼き肉にとても合って美味しかったです。この他盛岡には有名な「わんこそば」や「じゃじゃ麺」が有り、この3つを“盛岡三大麺”と言うそうです。
「冷麺」しこしこ固めでひんやり
翌日は、いよいよ「アイーナ」岩手県民情報センターの最上階で、人工知能学会が行われ、座長・大武先生の「新語紹介」で始まりました。学会報告のトップバッターは塚脇さん、次に報告なさったのは現在研修コースに参加なさっている、永田映子さん。お二人とも落ち着いて立派な報告でした。我々応援団は、パンフレットやチラシを配ったり、写真を撮りまくったり、もしかしたら、わさわさと、うるさく目立ったかも知れません。
「光原社」、昔宮沢賢治の製本を一手に引き受けていた印刷所が有った所で、昼休みに永田さんの案内で、大武先生、塚脇さん、応援団3名で見学。今は喫茶店と、お土産屋さんになっていました。
光原社前にて
光原社の裏に行くと、北上川がとうとうと流れていて、そのすぐ横の白壁に宮沢賢治の自筆と思われる「アメニモマケズ、カゼニモマケズ」の詩が書いてありました。詩の中に、共想法のルーツは宮沢賢治にあり?と思うような一節「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」があり、全員喜び写真を撮りました。
宮沢賢治の詩
ソシテワスレズ
打ち上げは、言うまでもなく「わんこそば」で有名な「東屋」で行われました。わんこそばは、蕎麦振る舞いが原型だそうで、薬味や箸やすめが見事でした。
盛岡で有名なわんこそば店
食べたわんこそばのお椀
学会発表のストレスを、ここぞ!とばかりに発散し、ご覧の写真の様に平らげました。これで6人分?、えっ、えっ、一人分??? まさか〜楽しく、有意義な盛岡学会紀行でした。
『盛岡紀行』 市民研究員 佐藤由紀子記
5月31日、田口良江さん、武下秀子さんと私の三人は、東北新幹線の「一関駅」で途中下車し、平泉、中尊寺、金色堂に立ち寄りました。世界遺産登録直前で、賑わっているでしょうと思っていましたが、3・11の大震災の後の為か、人影もまばらで広い境内が寂しい位、閑散としていました。金色堂は50年前に訪れた時は、覆堂もガラスもなく、ただ薄汚れていて、螺鈿の柱や華まんが目の前にあり、手で触った覚えが有ります。
中尊寺
田口さんは病気の後の初めての旅行。武下さんは一週間前にけがをしたためコルセット姿で、本来なら絶対安静中の旅行でした。
月見坂にてのお二人
平泉でのんびりし過ぎた為か?或いは筆者の計算違いか?バスに乗り遅れ、列車も乗り遅れ、盛岡に着いたのは夕方の7時半近くで、集合時間より30分も遅くなり、大武先生始め、参加者の皆様に大変ご迷惑をお掛けした事を反省しています。
セッション前夜の交流会
この日のメニューは「焼肉と冷麺」、冷麺は、しこしこ固めでひんやり冷たく、焼き肉にとても合って美味しかったです。この他盛岡には有名な「わんこそば」や「じゃじゃ麺」が有り、この3つを“盛岡三大麺”と言うそうです。
「冷麺」しこしこ固めでひんやり
翌日は、いよいよ「アイーナ」岩手県民情報センターの最上階で、人工知能学会が行われ、座長・大武先生の「新語紹介」で始まりました。学会報告のトップバッターは塚脇さん、次に報告なさったのは現在研修コースに参加なさっている、永田映子さん。お二人とも落ち着いて立派な報告でした。我々応援団は、パンフレットやチラシを配ったり、写真を撮りまくったり、もしかしたら、わさわさと、うるさく目立ったかも知れません。
「光原社」、昔宮沢賢治の製本を一手に引き受けていた印刷所が有った所で、昼休みに永田さんの案内で、大武先生、塚脇さん、応援団3名で見学。今は喫茶店と、お土産屋さんになっていました。
光原社前にて
光原社の裏に行くと、北上川がとうとうと流れていて、そのすぐ横の白壁に宮沢賢治の自筆と思われる「アメニモマケズ、カゼニモマケズ」の詩が書いてありました。詩の中に、共想法のルーツは宮沢賢治にあり?と思うような一節「ヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ」があり、全員喜び写真を撮りました。
宮沢賢治の詩
ソシテワスレズ
打ち上げは、言うまでもなく「わんこそば」で有名な「東屋」で行われました。わんこそばは、蕎麦振る舞いが原型だそうで、薬味や箸やすめが見事でした。
盛岡で有名なわんこそば店
食べたわんこそばのお椀
学会発表のストレスを、ここぞ!とばかりに発散し、ご覧の写真の様に平らげました。これで6人分?、えっ、えっ、一人分??? まさか〜楽しく、有意義な盛岡学会紀行でした。